
津島家新座敷とは
・・・築百年。生家の知られざる離れ
〈津島家新座敷〉は1922年(大正11)の建築。当初は生家(現・斜陽館)の奥に渡り廊下で繫がる、太宰の長兄夫婦のために建てられた離れ屋敷でした。室数5の数寄屋造りで、洋室の両側に二間続きの和室を配し、洋窓のサンルーム、寄木の床や鴬張りの廊下など父 源右衛門の力の入れようが伺えます。この離れは、のちに戦禍を逃れて疎開した太宰が終戦直後に数々の創作をした家であり、文壇登場後の居宅としては唯一現存する建物でもあります。太宰が没した1948年、90m東の現在地に曳家されたため、それから長い時間が過ぎるとともににこの町の人たちも離れの存在を忘れていました。
・・・2007年初公開~今も太宰と家族の物語が息衝く
移築以降、新座敷は津島家から2度所有が移り、約60年間公開のきっかけがありませんでしたが、2007年(平成19)に太宰治疎開の家として初公開されました。以来、往時を知る縁者の証言によってかつてここに暮らした太宰と家族の知られざる逸話が続々と発掘され、太宰作品に登場する実際の舞台として、また、読者をあらためて物語の入り口に立たせてくれるような貴重な場所として、維持を続けております。
「ほっとして涙が出る」
「タイムスリップしたよう」
「作家の息遣いや体温が感じられる」
「太宰がそこにいるようだ」
2011年から設置した来館者ノートにはこのような感想がたくさん記されています。
離れの廊下を踏み、耳をすませば、太宰が生きた時代と津軽地方の暮らしに立ち会い、思いがけず優しい心の糸に触れるような体験がここにあります。「もういちどじっくりと読みたい」そんな思いを掻き立てられるような特別な空間に、どうぞおいでください。

太宰治疎開中の著作リスト
〔昭和20年7月 31日~翌21年11月12日〕
【小説】
薄明
パンドラの匣
庭
親といふ二字
嘘
貨幣
十五年間
やんぬる哉
苦悩の年鑑
チヤンス
冬の花火
未帰還の友に
春の枯葉
たづねびと
親友交歓
トカトントン
雀
男女同権
【随想】
政治家と家庭
返事
津軽地方とチエホフ
海
同じ星
※他序文、後記、アンケートなど